忍者ブログ
Turn West in East
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ニコニコ動画の「シトロンとへびの耳」生放送にて、

青空文庫さんに掲載されている、

新渡戸稲造の『国際聯盟とは如何なものか』という作品を朗読しました。

そこでこのエントリーでは、

ちょいとばかし考察やら注釈やら小話やらを入れていきたいと思います。


国際聯盟とその加盟国

 国際聯盟というものに就ては分ったようで分らぬものが多い。英国は聯盟を創設する当時、あれほど熱心に主張した国でありながら、同国人中にはいまだにその性質を充分に理解せぬものが多い。国際聯盟の本場ともいうべき瑞西(スイッツル)のジュネーヴに於てさえもこれを知らぬものが多いのであるから、日本では分ったようで分らぬものの多いのは不思議でない。

まず最初の段落です。

 

新渡戸さんは、国際連盟(以下、LON)がどの程度当時の人々に認知されているのかを述べています。本部を置くジュネーブの人々でさえLONを知らないものが多いとあることから、その存在感はあまり大きくなかったようですね。

 

 数多(あまた)の国がその代表者を出して共通的に利害関係あることを討議し、国際正義の確立、世界平和の助成、人類協力の増進という三大使命を行わんとするものである。これを国家の機関に譬えれば議会の如く、万国のための議会のようなものである。詩人が歌った The Parliament of men 即ち The Federation of the World が実現されたものである。

ほうほう、たしかに利害調整という点では議会に似ていますね。ただ、ここで注意しなければならないのが、LONが全会一致という決定方式を取ったのに対し、国際連合(以下、UN)では多数決制が用いられている点です。

 

ちなみに、満州事変に関するリットン調査団の報告で日本が「反対」を表明しましたが、紛争当事国をカウントしない「みなし満場一致」という規定で全会一致という扱いになったそうです。(参照:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1006598.html

 

"The Parliament of men" は「人類の議会」と訳して問題ないでしょう。

 

(前略)世界の大国中でいまだ加盟せぬのは米、独、露である、露国は公使のようなものを送って聯盟を研究させており、独逸も加盟を希望して片足位は入ったようなものであるが、全く入ろうとしていないのは米国、メキシコ、土耳古(トルコ)、アフガニスタン等である(中略)ともかく大国中で加盟せぬのは右の三国だけである。

米国は後述の通り、LONがウィルソンの提唱だったにもかかわらず、議会の反対のためにあえなく不参加となりました。また、ドイツは第一次世界大戦の敗戦国だったために加盟できず、ロシア(ソ連)も共産主義の国家だったために加盟できませんでした。後に、両国とも加盟しました。

 

「右の三国」とは米独露のことですが、この時には、オスマン帝国として一時代を築いたトルコはすでに大国には数えられませんでした。もはや過去の栄光というわけです。このころにはトルコ革命を経験し、ラテン文字やグレゴリオ暦の使用など、イスラーム世界よりはヨーロッパ世界に目を向けた政策を採ります。

 

なんだか、現代のEU加盟を目指すトルコと重なって、少し目頭が熱くなります……ずっとヨーロッパを見てるのに入れてもらえない(;ω;´) 一途な片思いのトルコ、萌えます。(ぁ

 

アフガニスタンは、一九一九年にイギリスから独立を果たします。植民地から独立した国としては、早い方なのではないでしょうか。そういうホットな国だったので、新渡戸さんは例に挙げたのかもしれませんね。

 

聯盟総会とその組織

 国際聯盟の機関は大体四種より成っている。聯盟総会、聯盟理事会、聯盟事務局及び諸種の委員会である。(中略) 代表者として出て来る者は前大臣が三分の一位、外交官が三分の一位、しかして残りの三分の一は大学教授という状態である。第一回の総会の時、英国の某氏(ぼうし)が紙片に「教授が多過ぎる」(There are too many professors)と書いて次ぎ次ぎに廻わした時、某博士かが「プロフェッサース」を「ポリチシアンス」に改刪(かいさん)したので大笑となったことがある。

「ポリチシアンス」って ”politicians” (政治家) のことでしょうか。それにしても、総会の時にメモを廻すなんて、なんだか学校の授業で不真面目な生徒がやっているようなことをするんですねwww ちょっと親近感?

 

 国際会議に於て各国の席順を決めるということは非常に重大な問題であって、外交史上にも席順の上下を争い席を蹴って退去した例もある。個人としてはともかく、自分の代表する国家の威厳ということを思うからである。(中略) この争を絶つためには席順に上下の区別をなくするに若(し)くはない。しかして上下の区別なからしめるためには円形の卓子(テーブル)とするがよい。さすれば上もなければ下もない。

席決めという、学校でもありそうな一場面。ですが、こちらはおのおのが自分の国家を背負っているのですから、おいそれとは決まりません。特に当時は帝国主義の時代です。食うか食われるかの殺伐とした時代では、こういう細かい上下がとても重要なのです。ただ、こんな時代であっても一国一票でした。

 

円形のテーブルを使用するのは、UNSC(国際連合安全保障理事会)でも同じですね。たしか、総会は半円だった気がします><

 

会期と用語

 用語は英仏語を以てすることにした。これを決定する場合、伊太利(イタリー)は自分の国語はラテン語の系統を引いているものであるから、これを使用せよと主張し、西班牙(スペイン)もまた同国語は南米十ヶ国に行われ、使用の範囲が広いからこれを採用せよといい、一時はやかましい問題であったが、老巧なバルフォーア卿がいて円滑にこれを捌(さば)き、結局英仏語を公用語 official language とするのでなく、便利のためにこれを使用語 Language in use としよう、後日不便があればこれを改めてもよいが、今は差当(さしあた)り便利上英仏語にすると決し、仏語は英語に翻訳することになっている。

これもまたおもしろいお話。英国のバルフォーア卿というのは、同国の第五十代宰相のことでしょうか? 裏づけはありませんが、そんな感じがします。便利上、英仏語を使用語とするという案はなかなか考えましたね。ちなみに、UNの公用語は英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語です。

 

意外なことなのですが、英語が外交の言語になったのはかなり最近のことらしいのです。古代から中世にかけてはラテン語が、近代初期からWW1ぐらいまではフランス語が使われていたということです。ちょうど満州がきな臭くなってくるあたりから、英語が国際語としての地位を確立し始めたのだとか。

 

LONには公用語が無いわけですから当然自国語を使用しても問題ないわけです。そんなこんなで、ちょっと長いですが次の部分です。

 

 国粋論者は何故日本語を会議の用語に認めさせなかったかと青筋をたてて憤慨するものがあるかもしれぬ。無論英仏語は公認用語というのではないから日本人が日本語で述べることは少しも差支ない。今日まで日本語で述べたものが幸にして一人もなかったから善(よ)いが、もしやれば、それはかえって日本の損となり、日本の威観はかえってこれがために下(さが)ることになる。それに就て想い起すことは西班牙の総理大臣が西班牙は歴史的の国家であり、その文字は豊富であるというので、大にその立派さを発揮するために美辞佳句を連ねて滔々(とうとう)として述べた。最初の二、三分間は議場も緊張して聞いていたが、間もなくがやがやと騒がしくなり、これを英語と仏語とに翻訳する時は議場は空席のみとなり、折角(せっかく)の大演説も各国人に徹底するを得ずしてかえって大に損したことがある。故に我々としては日本語を使用したい感があるとしても、実際には日本語を遠慮するのがかえって我国のために得策となるのである。

とまあ、スペインの宰相も「スペイン語を使って良いんじゃなイカ?」とか考えて実践したわけですが、それが裏目に出たようですね。誰も聴かない演説というのは、国にとっても宰相ご自身にとっても、とても損なことです。

 

そういうわけで、LONの使用語(準公用語?)は英仏語だったのです。

 

聯盟理事会

 聯盟総会で決議した事を実行に移す機関として聯盟理事会(Council)というのがある。これは十ヶ国の代表者によりて構成されている。その内、英、仏、伊、日の四国は常置理事国で、あとの六ヶ国が年々の総会で選ばるるのである。現在の選出理事国は白、ブラジル、西班牙(スペイン)、ウルグワイ、瑞典(スエーデン)、チェッコ・スロバキヤとなっている。総会を議会とすれば、理事会は政府の如きものである

総会を議会とすれば、理事会は政府ですか。前述のように、LONは "The Federation of the World" (世界連邦)として期待されていました。まるでひとつの国家のようですが、議会のメンバーが選挙で選ばれていないとなると、民主的正当性はあんまり無いわけです。でもまあ、これはまた別のお話。欧州議会の直接選挙とかが個人的にいま一番アツいです。

 

 

 理事会の決議は総会と同じく原則として同会一致を必要とする。表決は一国一票で、議決すればこれを事務局に廻わして実行に当らせる。事務局の総長はこれを関係の部に送りて、実行に必要な方法を立案させ、それが再び総長の手許(てもと)に帰って来(きた)り、それにより実行するのである。

同会一致(全会一致)と一国一票に関する部分です。どの国も平等であるという基本的な原則があって、全会一致方式が採用されたわけですが、これがかえって意思決定の足かせとなってしまいました。

 

LONの失敗に関してついでに言えば、LONが採れる制裁は経済制裁だけで、軍事制裁という選択肢がありませんでした。加えて、その経済制裁もたいへん緩いものだったので、たとえばA国に対してB国が禁輸措置をとったとしても、C国が貿易を継続してしまうことがあったのです。これではまったく意味を成しませんでした。C国が大国であれば、なおさらその効果は薄くなってしまいます。

 

聯盟事務局の組織

 聯盟事務局には一人の事務総長がいる。ジェームス・イーリック・ドラモンド卿がその人である。卿は英人――というよりも蘇蘭(スコットランド)の最高貴族の一人で、いわゆるクランの大なるもので、兄が家長で、マークィスを称している。マークィスには子がないから兄百年の後は卿がその後を嗣(つ)ぐことになるであろう。しかし卿が総長に挙(あ)げられたのは無論家柄のためでない。巴里の講和会議の際、卿も英国の委員として出席し、頗(すこぶ)る機敏に活動しかつ公平な人であったので、大統領ウィルソン氏の厚き信頼を受け、第一次の事務総長に推(お)され、その他の事務局員は卿の選任に任ぜられたのである。

ドラモンド卿に関する記述です。ウィルソンは当時のアメリカ大統領で、LON設立のきっかけとなる十四ヶ条の平和原則を提示しました。十四ヶ条の平和原則には、自分たちの民族のことは自分たちで決めるという「民族自決」の項目があり、これが一九六〇年代の植民地独立の基礎となるのです。もともとこの項目は、特に東ヨーロッパ諸国の独立を念頭に置いており、ソ連への緩衝と牽制のためにつくられたものでした。 

 

 総長の下(もと)に三人の次長がある。仏、伊、日の三国から出ている。これらの人々はその本国を代表するものでなく、一種の国際人(インターナショナル・マン)であって、本国の利害を離れて国際事務を処理している。従てまた本国より俸給その他の手当も受けないのである。各国人にしてジュネーブに来り、聯盟を研究する者さえこの点を諒解するに苦(くるし)み、やはり事務局員を各国の代表者と思っている

LONの事務局員に関する部分です。「国際人(インターナショナル・マン)」、国際公務員は自国の代表として働いているのではありません。現代のUNや国際機関の職員も国際公務員ですから、同様です。しかし、当時の研究者からしてみれば「各国の代表者」という認識だったようですね。

 

LON以前も、国際行政連合のような形で事務局と事務員が置かれる国際機関はあったのですが、あくまでも行政的なものだったので国家同士の利害云々という話には至らなかったわけです。国際河川の管理や郵便の取り決めには、利害もなにもありませんからね。

 

けれども、LONとなると話が変わってくるわけです。冒頭にありましたように、国際の利害を調整する議会のようなものですから、組織の内部に自国民が多いほど有利であるといえるのでしょう。こういった点から、当時の研究者の認識が生まれたわけです。当然といえば当然でしょうか。

 

ただし、現代の国際公務員にも何らかの形で出身国から期待されているような気もします。たとえば、国際原子力機関(IAEA)のトップが日本人だったり、国際通貨基金(IMF)や世界銀行のメンバーがアメリカ人だったりします。うーむ、予測はできますが断定はできませんね。それはまた別のお話です。

 

 事務総長及び次長の下に十人の部長がある。経済財務、軍備縮少、社会問題、保健、交通、情報会計等の各部に部長があり、英、仏、伊、日、蘭、波蘭(ポーランド)、和蘭(オランダ)、加奈陀(カナダ)、諾威(ノルーウェー)、等の国人より成り、毎週一回二時間位の部長会議を開き、各種の問題を打合せまたは討議する。用語は総会と同じく英仏語であるが、いずれも英仏語に熟達しているので、前の人が英語で話せば、次の人もそれに釣られて英語で話すが、ちょっとつかえると自分の仏語に戻り、次の人もそれにつれて仏語で話し、つかえるとまた英語に戻るというような風(ふう)である

つられて言語を変えるとは、なんとも適当な感w しかし、これも公用語を定めていないがためなのです。あくまで英仏語は「使用語」ですからね。その曖昧さゆえに、LONを設立することができたと言えるのではないでしょうか。

 

事務局の重要地位地

 過去の歴史を繙(ひもと)けば国際聯盟のようなものを案出したことは少くなかったのである。各国間の戦争を防止せんとする計画は百年前に学者がこれを説いたことあり、また前記ウィリアム・ペンの案の如きもその一である。しかし戦争防止を実行せんとした最も有名なものは前世紀の初頭に於ける神聖同盟である。各国の国王や総理大臣が出席して、列国の君主は互に同胞のように交り、永く相親睦して争わぬことを誓った。(中略)然るに会議して帰国すれば直ちに軍備を修めて戦争の用意をしていた。従来列国の間に戦争を防止し平和を保つために相集まって議論を交え約束に調印しても、散会すれば忘れてしまう、記憶していても、進んで約束を履行(りこう)しようとしない。列国会議の成功しなかったのはただ決議または約束するだけで、これを督促(とくそく)し実行せんとするものがなかったからである

過去の試みに関する新渡戸さんの考察ですね。平和を約束する会議は幾度となく開かれたものの、ひとたび帰国すれば戦争の準備をはじめるという状況でした。新渡戸さんは「(決議または約束を)督促し実行せんとするものがなかったから」であるとしています。

 

再度集まることは面倒であるから、結局決議のしばなしということになった。故に国際聯盟が出来た時も、世人の多数は従来と同じく失敗するものと信じていたのであるが、しかし聯盟には事務局というものがある。総会でも理事会でも一定の時に開会するだけであるが、事務局は常置の局で、ある決議を総会が行ったとすれば、局からその実行を督促する。あの決議は何時(いつ)から実行するか、あの仕事の成績はどうであったかと、局は常に各(めいめい)加盟国の政府に督促している

これが今までの会議と違うところです。事務局の存在は、加盟国に決定を実行せしめる「世界連邦」の行政機関という重りになったのです。そして、その例を挙げてその成績を述べたのが次の文章です。

 

例えば国際司法裁判所を構成する時の如き批准の催促状を各国政府に出すことが局の重要な仕事であったことがある。局が催促するから加盟国政府も実行せざるを得なくなる。要するに事務局は国際聯盟を成立せしめ、その効果を発揮せしむる重要機関の一である。昔の国際会議はこれを欠いた故に失敗し、今の国際聯盟はこれを有するために成績を挙(あ)げている。事務局を常設したことは国際問題を解決する上に最も大なる発明の一である

〔一九二五年二月一五日『実業之日本』二八巻四号〕

新渡戸さんが事務局を重要視しているのがわかる締めくくりですね。「国際問題を解決する上に最も大なる発明」とまで言っています。

 

一九二五年といえば、WW1とWW2の戦間期です。WW1はそれまでに人類が経験したことがない規模でした。特にヨーロッパは荒廃し、国際秩序と戦争についての研究がはじまりました。それが「国際関係論」です。

 

 

ふう、今日はたくさん文章を書いたので疲れてしまいました。

 

果たして、ニコ生の朗読がメインなのかこちらがメインなのかちょっとわからなくなるぐらいに時間をかけてしまいましたが、頭の整理には役立ちました。

 

誤った文章を書かないように気をつけてはいますが、もしかしたら間違った知識をてらっているかもしれません。遠慮なくコメントにてご指摘ください。小生の後学の助けになります。

 

 

拍手

PR
この記事にコメントする
<!> コメントは管理者の承認後に表示されます。
<!> Your comment will be displayed after allowing of the admin.
<!> Sorry, due to annoying spam comments, English comments are NOT available now.
Name
Title
Color
E-Mail
URL
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
TrackbackURL:
Twitter
プロフィール
HN:
ゆぎ(Yugi)
性別:
男性
職業:
大学生
趣味:
読書、音楽、歴史
自己紹介:
Twitter - mihuyuduki
Links - nicomixipixivmuzie

国際関係を学ぶ西日本の大学生。文章がうまくなりたいのでブログでも何でも書くべきなのですが……有言不実行なのでございますorz
正二十面体
シトロンとヘビの耳
読書メーター
ゆぎ(Yugi)の最近読んだ本
カウンター
2009年03月03日~
ブログ内検索

Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]